【映画レビュー】『湖の見知らぬ男』“アラン・ギロディ監督特集”

映画『湖の見知らぬ男』の概要

原題:『Stranger by the Lake』 製作年:2013 国:フランス 上映:97分 日本語字幕:今井祥子 配給:サニーフィルム

2013年カンヌ国際映画祭「ある視点」部門 監督賞&クィア・パルム賞受賞

映画『湖の見知らぬ男』のあらすじ

夏。美しいブルーに輝く湖。ここは男性同士が出会うためのクルージングスポットになっている。ヴァカンス中に訪れた若い青年フランクは魅力的なミシェルと出会い恋に落ちる。ある夕方、フランクは湖で喧嘩する二人を目撃する。その数日後、ミシェルの恋人だった男が溺死体で発見された。捜査の手が入った男たちの楽園は一転して不穏な空気が立ち込める。情熱が恐怖を上回る瞬間、自らの欲望に身を任せてゆく—

劇場用公式プログラム『Alain Guiraudie』より

映画『湖の見知らぬ男』のキャスト

フランク … ピエール・ドゥラドンシャン

ミシェル … クリストフ・パウ

アンリ … パトリック・ダスマサオ

警部 … ジェローム・シャパット

エリック … マチュー・ヴェルヴィッシュ

映画『湖の見知らぬ男』の上映館・配信情報

『湖の見知らぬ男』は“アラン・ギロディ監督特集”として、『ミゼリコルディア』『ノーバディーズ・ヒーロー』とともに、今年3月22日より渋谷シアター・イメージフォーラムにて日本初公開されました。そのほかの劇場公開予定については、オフィシャルサイトをご確認ください。

サブスクリプションによる配信予定は、4月23日時点で発表されていません。

映画『湖の見知らぬ男』の感想(ネタバレなし)

全編舞台が湖のみ

この映画の舞台は、森に囲まれた湖。そこは男性のみが訪れ、出会いを求める、いわゆるハッテン場。

ほかの場所は一切登場せず、主人公フランクの訪れと共に映画は始まり、去るとシーンが終わり。次のシーンは再訪から始まる、と徹底しています。

場所の統一性、光を軸に構成されたストーリー、昼から夜への移り変わり、時間の変化など、この映画を単純化し、縮小するという観点で考えました。この映画はもはや形式上はユートピア的ではありませんが、ワクワクするような秘密を隠した森というおとぎ話の要素は残っています。

ギロディ監督自身が述べるように、舞台を湖に限定したことで作品全体のまとまりがいい印象でした。

木々は湖を隠すだけでなく、同性愛者たちの密かな営みを外界から隠し、“彼ら”はそこにやってきたようで、閉じこめられている不自由な存在のようでもあるのです。

観客は、そこからなにが現れるのかという期待と不安、世間の目に触れることのない秘め事を覗き見る背徳感の狭間でせめぎ合うことになります。

同性愛描写はストーリーの肝

ギロディ監督作品のなかでも、本作の性描写はかなり攻めていると言えるでしょう。商業作品でここまで露骨に映しているものはなかなかないので、抵抗がある人には少し厳しいかもしれません。

しかしそれはポルノとしてただ消費されるものではないのです。

『湖の見知らぬ男』では、ゲイのコミュニティがとてもリアルに描写されていると感じました。露骨な性描写もその一環なのです。性にオープンで、心は閉ざされがちな作中人物たちの性質がよく伝わり、ストーリー展開にも説得力をもたせています。

主人公のフランクは、大人しそうな外見とは裏腹に欲望に忠実で、湖で見かけた野性味あふれるミシェルにすぐ惹かれます。

ある日の夕方、フランクはミシェルが、関係を持った男を湖に沈めて殺害するところを目撃します。しかし、彼は誰にも知らせることなく、やがてミシェルと関係を結び、遺体が発見されても警察に証言せずミシェルを庇うのです。

フランクの行動には、ミシェルへの好意だけでなく、湖という場所柄が大きく関係しているのでしょう。

湖は訪れるゲイたちにとって、ふだんの日常とは切り離された限定的な時間のなかで、かつ性欲のみで互いを結びつける場所です。一般的な社会生活を営んでいる時間とは違い、他者の人格を尊重したり、安否を気遣う場所ではないのです。

緊迫感あふれるサスペンス

上述の通り、犯人があきらかな状況でストーリーは進んでいくのですが、サスペンスとしての吸引力は終盤まで観客を引っ張っていきます。

本作のサスペンスとしての軸は、

  • 殺人犯であるミシェルと関係を持ったフランクがどんな行動をとるのか
  • フランクに近づいたミシェルの真意は

という肉体関係を結んだ二人の男の心理にあります。

フランクは精神的な繋がりを求めますが、ミシェルは湖での逢瀬以外では深入りしようとせず、どこか本音での関わり合いを避けている様子。

そんな二人の応酬で展開されるサスペンスは、画としての派手さはありませんが、静かな緊張感が常に画面の中で張り詰めているのです。

彼らの関係に介入する存在として、ゲイの世界になじめず孤独ながらも作品の良心的な存在であるアンリ、唯一外界からやってきた刑事・ダムロテールが登場し、水面下で静かに波紋を広げるドラマの緊張感を終盤まで引っ張っていきます。

映画『湖の見知らぬ男』の感想(ネタバレあり)

※以下の感想はネタバレありです。未鑑賞の方はご注意ください。

湖と性が生みだす“死”のイメージ

『湖の見知らぬ男』における性行為は、“死”のイメージに満ちています。

死体の上がった湖を背景に、殺人犯とのあいだの暗黙の了解を前提として交わされる行為には、“死”が連想されてくるのです。

死は平等に訪れるものですが、いかなる形であれ、その過程で他者との関係を育み、そうした生の営みが“生きていく”という“今”を形づくります。

ですが、フランクとミシェルは互いに夢中なようでいて、その関係は嘘によって成り立っており、自分の欲望しか見えていません。

フランクは殺人犯というミシェルの正体を知り目を伏せていながら、心からの関係を望む矛盾を抱えています。一方でミシェルは、フランクが知っていることを薄々気づいていながらも、頑なに距離を置きながら肉体関係を楽しみ続けるのです。

まさに、“一寸先は闇”の関係性です。

湖という場所も、“死”のイメージに一役買っていると言えるでしょう。“母なる海”というように、海には生命の源のイメージがあります。

では、湖はどうでしょう? 地平線の果てまで続く海とは違い、森に囲まれ、その場に留まり続けています。コミュニケーションを排し、欲望のみのセックスの果てにはなにもないのだと暗示されていように感じられるのです。

ダムロテール刑事とアンリについて

フランクとミシェルのカップルが主役の今作ですが、ダムロテール刑事とアンリはとても重要な脇役ですので、この二人について触れておきましょう。

ダムロテール刑事は、遺体が発見された湖に捜査のためやってきます。そして、物語のテーマともなる重要な疑問をフランクに投げかけるのです。

ダムロテールはフランクがなにかを隠していると勘づき、事件の日のアリバイを問いかける。フランクは名も知らぬ男と行為に耽っていたことを告白。ダムロテールは不審を露わにするものの「ここでは普通のことだ」と答えるフランク。

「死体が発見されたのに、二日後には皆前のように楽しんでいて変だと思わないのか?」

「人生は続きます」

「同情や連帯は示さなくても少しは心配したらどうなのか?」

特殊なコミュニティのなかに、初めて外からの視点が加わった瞬間でした。

ですが実は、もっと前から同じような視点を担ったキャラクターが登場していました。それがアンリです。彼はフランクたちと同じく自ら湖にやってきていますが、いつも畔の端に座っているだけで誰とも寝ようとせず、湖の利用者のなかで浮いた存在でした。

アンリは、出会ってただセックスするだけの関係に抵抗を感じていたようで、連日湖を訪れるフランクに片想いのような感情を抱きつつ、普通の友人らしい関係を築いていきます。

「君といると胸が高鳴る。恋をした時みたいに。でも君と寝たくはない」

また彼は、殺人犯がミシェルであるとの確信を持っており、フランクを心配して忠告します。作中で最も良心的なキャラクターと言っていいでしょう。

終盤アンリはミシェルに、飽きたらフランクも殺すのかと詰め寄りますが、結果彼に刺されてしまいます。息も絶え絶えな状態のところを発見したフランクに、彼はずっと死にたかったと孤独な胸の内を明かし、絶命しました。

そのすぐ後、ふたたび現場にやってきたダムロテール刑事も、フランクの目の前でミシェルに刺されてしまいました。

コミュニティのなかで静かに育っていた“死”が、物語のクライマックスでこの二人のキャラクターに狂気の刃を向けたのです。

エンディングの意味は?

ミシェルが殺人犯であるとわかっていたはずのフランクですが、実際に二人の人間を刺し殺す場面を目の当たりにして、森のなかを逃げまどう。

茂みに身を隠しているとミシェルが追いついてきて、「捨てないでくれ。君が必要だ」と甘い言葉でフランクを誘い出そうとする。

フランクは最後まで隠れるものの、ミシェルがいなくなると今度は彼を失うことに不安になったのか、茂みから姿をだして彼の名を呼ぶ。しかし彼は現れず、悲痛なフランクの声だけが森のなかに響いて暗転。

おそらく、ミシェルの犯行を隠し続けるうち、自分が彼と運命共同体のような関係になっているのをフランクも理解していたのでしょう。

欲望で他者と結びついてしまったがゆえにすべてを失ってしまったというのが、このラストだったのだと感じました。

ミシェルがフランクに対して抱いていた気持ちは最後まではっきりとはしませんでしたが、彼らふたりが共依存的な関係に陥っていたのは間違いありません。

それが露わになるラストの逃亡劇は、グザヴィエ・ドラン監督の『トム・アット・ザ・ファーム』を思い出しましたね。

タイトルとURLをコピーしました